物語のタイトルのようなブログタイトルにしたかったのですが、才能が追いつきませんでした。
長雨続きで遅れてしまっている苗の手入れですが、本日より次の作業に移ります。
予定より10日ほど遅れています。
次に行う作業にはわりと悲しい物語が内包されているのです。
軽井沢の畑に親苗を植えてからずっと、ランナーを伸ばし、そこから子供の苗を育てる作業をしてきました。
親苗1株から約20株の子供の苗を育てます。
子供の苗たちが元気にたくましく成長するように不要なランナーや葉を整理する作業を繰り返します。
子供の苗がある程度育ったところで、次は親苗と子供の苗を繋ぐランナーを切ります。
これが次の作業になります。
この頃になると、子供の苗はしっかりと大地に根を張り、自分で養分を吸収し成長できるまでに育っています。
今までのようにランナーを通して親苗から養分をもらう必要がなくなりますので、親子の間を繋いでいたランナーを切るのですが、もうひとつどうしても切り離さなければならない大事な理由があります。
子供の苗が独り立ちする頃になると親苗は非常に弱った状態になっています。
ランナーを通して子供の苗に養分を送り続けたからでしょう。
弱ってしまった親苗は、抵抗力がなくなり病気に罹りやすくなってしまいます。
病気に罹ってしまった親苗が子供の苗とランナーで繋がっていると、病気が子供の苗にうつってしまいます。
それを防ぐために、親苗と子供の苗を繋ぐランナーを切る必要があります。
ランナーを切られ、子供の苗と離れた親苗は、畑の養分を全て子供の苗に与えるために、畑から抜かれます。
毎年毎年、もう何十回も繰り返し行っている作業ですが、毎回ちょっとだけセンチメンタルなおっさんになりがちです。
この親苗の生き様は、なんとなく見聞きし、知識のなかにあった鮭のそれと同じなのでは?と思い調べてみたことがありました。
いちごの生産者になってすぐの頃だったと思います。
産卵のために生まれ故郷を目指して川を遡上し、産卵を終えると同時にその生涯を終える鮭。
産卵後に鮭が生き延びないのは、自身が生き延びることで消費してしまう餌を全て孵化した子供に譲るため。
さらには、自分の身体をプランクトンに与え、その数を増やし、結果的に子供の餌を作り出すためって・・・凄すぎる。
その事実を知った時の衝撃は、いまでも心に鮮明に残っています。
そして、私自身も命を扱う仕事に従事しているんだという事をハッキリと自覚しました。
藤岡市から碓氷峠を遡上し、軽井沢の畑で子供の苗を増やす仕事を見事に成し遂げた親苗は、土にかえり次の世代の苗たちを育てる養分になってくれます。
そんな親苗が最後にプレゼントをくれました。
今年の親苗が最後に実らせたやよいひめです。
来シーズンから新しいビジネスに挑戦する私にエールを送ってくれているような気がしましす。
いや、絶対にそうでしょう。長い付き合いなのでわかります(笑)
「私の子供たちをよろしくね」
とも言っています。
少し完熟気味ですが、ありがたく頂戴いたします。
で、頑張ります。
”任せとけ”
来たれ若人!一緒に物語を紡ごうぜ!(← 今回はちょっとだけセンチメンタルジャーニー)(←古っ)